私たちの家づくりは、さまざまな要素に支えられています。たしかな住宅性能と、ゆたかな暮らしを生み出すデザイン。それらはすべて、歴史の中で多くのお客様や関係先との出会いにより育まれ、磨かれてきたものに他なりません。その喜びを常に心にとめ、守るべきものを大切に継承しながら未来に向けて高めていくことで、新たな100年も野村建設らしい家づくりを実現していきます。
創業者の野村庄吉が
岐阜県揖斐郡大野町で
大工棟梁として独立
野村建設の歴史は、創業者の野村庄吉が岐阜県揖斐郡大野町で大工棟梁として独立した1921(大正10)年までさかのぼります。庄吉は大工としての腕前と実直な人柄で、地域のお客様からの信頼を集め、数多くの住宅工事を依頼されました。
大野町で最初の西洋風建築の医院で、現存する青木医院旧診療所様も庄吉が手がけたものです。また、職人の育成や技術の伝承にも努め、事業規模を拡大。今日に至る野村建設の礎を築きました。
株式会社野村建設として法人化、
新たなスタート
2代目が経営の舵取りを担った時代は、戦後日本のめざましい経済復興期と重なり、住宅はもとより、学校など地域の公共建築物にも携わりました。
1970年代には全国展開する木造住宅メーカー「殖産住宅グループ」に加盟。新築戸建て住宅の請負工事を通じて、地域におけるマイホーム普及の一翼を担いました。
会社としても順調な成長を遂げ、1969(昭和44)年に株式会社野村建設として法人化、新たなスタートを切ることとなります。
「たしかな家」をモットーにした
元請けの注文住宅工事に移行
1988(昭和63)年に3代目の野村信行へと家業が受け継がれると、野村建設は事業の主軸を、「たしかな家」をモットーにした元請けの注文住宅工事にシフトしました。
そして着目したのが、北海道生まれの高気密・高断熱住宅工法「FPの家」でした。硬質ウレタン断熱パネルを使った独自の工法は当時、全国的にも珍しい存在でしたが、体感できる圧倒的な住宅性能に将来性を確信し、普及に尽力。ピーク時は累計着工棟数で岐阜県FPグループ内No.1を誇りました。
「デザイン」という
付加価値をもたせた
新ブランド「clasico」を設立
新たな転機は、4代目の社長となる井上哲志・明代夫妻が入社したことを機に訪れます。2人は野村建設が確立した住宅性能に、「デザイン」という付加価値をもたせた新ブランド「clasico」を2015(平成27)年に設立。
設計思想や手法に共感した建築家・伊礼智氏、造園家・荻野寿也氏との協業によるモデルハウス「くらしこの家」を建築し、新テーマ「たしかな家で、豊かに暮らす」ことをお客様に提案する会社へと進化を遂げました。
私たちは野村建設だから叶う
家づくりの感動を
お客様にお届けしていきます
おかげさまで野村建設は、2021年10月に創業100周年を迎えました。当社の歴史は、時代の移り変わりや、さまざまな出会いによって進化してきた年月の積み重ねと言えます。その道のりは決して平坦ではなく、苦難も経験しましたが、良い家づくりを追求する情熱が枯渇することはありませんでした。
これまでも、そしてこれからも。私たちは野村建設だから叶う家づくりの感動をお客様にお届けしながら、新たな100年も丁寧に紡いでいきたいと考えています。
野村庄吉が建築請負業を開始。
揖斐土木建築工業株式会社を設立、役員として従事。
揖斐土木建築工業から独立。野村工務店として岐阜県建設業許可登録。
全国ハウスメーカー殖産住宅相互株式会社専属工務店加盟。
株式会社野村建設を設立。
特定建築工事業登録。
特定土木工事業の業種追加許可登録。
野村信行が代表取締役社長就任。
大垣税務署より優良法人に認定される。
高気密高断熱住宅「FP工法」を採用。
財団法人住宅保証機構に加盟。
「FPグループ」完成保証を含む総合補償制度に加入。
株式会社あんしん保証の加盟により、全建物の完成保証、瑕疵保証、地盤保証対応が完了。
大垣税務署より優良法人として2回目の表敬授受を受ける。
高気密高断熱「ムーミンの家」モデルハウス竣工。
IAU型住宅用免震システム工法を採用。
「PLATINUM HOUSE」高級輸入住宅モデルハウス完成。
全国工務店協会「JBN」加盟。
住宅保証機構株式会社「まもりすまい事業社」登録。
長期優良住宅先導事業対応。木の家促進整備事業対応。
岐阜県被災建物建築物応急危険度判定員登録。
新ブランド「clasico」を始動。
「くらしこの家」モデルハウス完成。
野村信行が代表取締役会長就任、井上哲志が代表取締役社長就任。
「くらしこの家ハナレ」竣工。親世帯と子世帯とが庭を介してそれぞれに住まう分棟型2世帯のモデルハウスが完成。
創業100周年を迎える。