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お別れの涙

日々のできごと

終業式の日、腫れた目で帰ってきた長女は小学生になって初めての担任の先生が定年退職されることに泣き、家に帰っても泣き続けていました。

次女も同じく、幼稚園での担任の先生の退職に涙を流し、間違ったひらがなも含めて精一杯の手紙を書きました。

私は昨日、30年以上数多くの現場管理をして会社を支えて下さっていた福田さんが生涯を閉じ、葬儀場でお別れをする時に涙が溢れ出しました。

事務所で福田さんが仕事していた席やその周りの光景もよく覚えていて、私はわずかな時間しか共にしていませんが穏やかで優しい福田さんの声が好きでした。

別れるということに対して、私はとてつもなく寂しさを感じ、未練を断ち切ることを苦手として生きてきました。

幼稚園のバスの運転手さんが好きで卒園する時に泣きじゃくって別れを惜しんだり、

小学生の頃通っていた歯医者の受付の方が寿退社されるということで会えなくなることになり、未練がましく家の前まで花束を持って行ったことも。

恋愛では別れてから6年間片思いしていたことも。

社会人になってからは前職の関係で恩師や恩人、協力者、同期、先輩後輩などと別れなければならない局面に多く対面し、そこには美しい別れ方でないことも多くありました。

関係が進行していても、自分が知らない間にもいろいろな人と物事でその関係が急展開してしまうこともあります。

いつも表面的にはサッパリしたように、吹っ切れたように精一杯振る舞いますが、実は心の中では悶々とした気持ちを抱え、別れを手放すことができずにズルズル引きずる気持ちを私だけの中に閉じ込めてきました。

人間が生き延びるために身につけている能力なんだと思いますが、辛い感情は時間と共に薄らいでいきます。

死別という別れを除くと「別れてから会えなくなる人、ばったり会える人、会う機会がある人」がいます。

互いの人生に求め合う人であれば、いずれまた会うべき日が来るのでないかと、この頃ようやく手放すことの大切さも手放し方も、少しずつ分かってきたように思います。

そして、私が心から別れを受け入れたとき、次の出会いが生まれるということも。

振り返ると、私はずっと出会ったことへの喜びを別れの時にようやく気がついていたのでないか、と自省します。

目の前にいる家族、親、仕事協力者、友人、先生、関わり合うすべての人たちと共に居るということが自然で当たり前であるかのような。常住不変であるかのように。

子どもも大人も、別れることは辛く寂しいものですが、私は別れる時の涙は美しいと思っていますし、感謝や敬意を表するものでもあると思います。

そんな思いを日頃からも持ち続けることができたら、尚いいのだと、別れの季節に思います。

またひとしきり嘆いた後は、引きずる気持ちを手放していく対処法も身につけていくことも私に必要なことかもしれません。


今年度もお世話になった方々、本当にありがとうございました。

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