立ち返らせてくれた言葉
最近、なるほど、ということが書かれている本に出会いました。
「子供の美術 上下巻」(佐藤忠良・安野光雅 編)
『図画工作の時間はじょうずに絵をかいたり、ものを作ったりのするのが、めあてではありません。じょうずにかこうとすることよりも、見たり考えたりしたことを、自分で感じたとおりにかいたり作ったりすることが大切です。
しんけんに、絵をかき、ものを作り続けていると、じょうずになるだけでなく、人としての感じかたも、育ちます。
このくり返しのなかで、自然の大きさがわかり、どんな人にならなければならないかが、わかってきます。これがめあてです。』
また先日の日経新聞を通して雑誌「エトセトラ VOL6」スポーツとジェンダーについての文面が一部紹介されていました。
『京都教育大学名誉教授の井谷恵子さんは「スポーツが上手になること」が体育の目的であると思い込まされていると指摘する。
たとえば水泳の授業では正しいフォームやタイムが評価のポイントになる。そこでは「命を守るために浮き、泳ぐことを学ぶ視点が欠けている」と井谷さん。
いまの体育は競争的なスポーツがカリキュラムの中心だが、本来「身体や動き」を育て「運動に親しむ」ための教科であるという』
どちらにも「そおだよね!」と深く共感してしまった私は、
かつて小中学校時代は図工も体育もからきしでした。
上手な人より苦手意識がある人のほうが共感度強めの思考かもしれませんが、これは教育の本質的なところでないか、と深く思うのです。
競争を通して得られる悔しさや成長、自信もありますが、その楽しみ方を知ることより前に、自分の思うままを表現することの大切さだったり、自分の身体能力と向き合いレベルをあげていく楽しさを身につけることのほうが、
人より自分にフォーカスしやすいし、それが独自性や強みとかになる。
大人になってみると仕事の成果においては比較、競争は拭えないものの、
趣味や興味などに関しては「自分にどうできるか」についてだけを考えられる環境に身を置けている気がします。
そして長女の習い事の行方といえば、裁縫の趣味がわずかに開いてきました。
先日、長女と自転車に乗って「HUKIN柳ヶ瀬ハンドメイドスタジオ」へお邪魔してきました。
工業用から家庭用ミシンがズラッと並び、隣には「江戸っ子」という生地屋さん。
作りたいものがある方も無い方も、その場で布や小物の調達もできながら、ミシン初心者の私と娘にもとても丁寧に優しく教えて下さいます。長女は以前から作りたかった「箸入れ」を1人で作ることができ、大満足で帰ることができました。
長女の姿を見ていると、上手・下手とかの世界観でなく自分の好きなことに夢中になる時間もいいものだなぁ、と思えます。
ついつい言ってしまいがちな比較や評価については改め、子どもたちを大きな視点で見守っていきたいと、本からも教えていただけたように思います。