日記を書くということ
主人は野村建設に来て社長ブログを10年、前職10年、合わせて20年くらいブログを書き続けています、、私にとって崇拝の覚悟と継続力です。
それに触発されてなのか、次女のいろはも日記を書き続けると宣言し、まずはめでたく2ヶ月が経過しました。
1年前、小学校全体の試みで「宿題」という強制的にやらなければならない課題が出されなくなってから、自分が苦手なこと、やりたいことを自由に行うスタイルになりました。はじめのうちは自分に合うものや、やりたいことが見つからず、強制的に出ないと何もしなくなるのかな、、と思うところもあったのですが、今のところ日記は楽しんで継続できているみたいです。親子というのは、似てほしくないこと継承してしまうものでしょうか、、
あぁ同じ想い過去にあったなぁとか、私の直したいところだなぁ、と、子供を見て多々困惑することがあります。
それを1番感じさせる3人姉弟の真ん中の次女は、負けず嫌いな性格。その分頑張り屋ではあるけれど、時に自虐的で偏屈。
「なんで私だけ褒められないの?」とか「私のいいところはない」と言い出して、たまに構ってちゃんタイプになってしまいます。
でも、何歳であってもそれを解決していくのは他人ではない自分だけなんですよね、、。
日記は、楽しかったことや学んだこと、成長したことを書くことが多いので、続けることで現実の自分を肯定しながら自分のことを認めていく力もついていくそうです。
きっと、今の次女に日記はピッタリで、書くことを通して自分で自分の心を満たし、自分に向き合っていくことができるようになると思っています。
末っ子で生まれた私は、兄や姉の行動を見て親の目を擦り抜けるように自由に過ごさせてもらいましたが、
親として育てる側になった今、子供の頃よりずっと兄と姉に対して感謝の気持ちが生まれています。
私から見て末っ子(しん)は、いつまでも小さいという想いが強くて、ついつい少しできただけのことにも褒めることがあります。
それはそれで大切なことなんでしょうが、末っ子はいろいろ真似することで時短で様々なスキルを身につけることもできます。
それを十分に知っている私にとっては、末っ子を認めるのと同時に、姉たちに感謝の言葉を掛けることで親として姉たちを勇気付けてあげたいと思うようになりました。
会社でも同じなのかもしれません。
伸び率が高い若手を認めつつ、自力で考え行動する上の立場の人に感謝の気持ちを伝えないと、うまく全体がまとまらないこともあります。
次女が日記をつけることで次女自身が覚醒していく楽しみが持てたことと、
姉弟や組織の中でこそ、感謝と認め合いが互いにあって和やかな環境が作られていくことを改めて気づかせてもらったと思います。
さて、パパのように継続するのでしょうか、、
つづく...
inoueakiyo