40の春
長男が幼稚園の玄関前で泣き叫ぶ日が続いています。
この春から年中なのですが、今まではずっと姉がそばにいたので1人でいろいろなことを乗り越えていくのは初めて。
実際には年少さんのようなものです。
大声で泣き叫び、私を掴み、先生を叩き、、
そんな長男を、私は謝りながら先生に無理やり渡し、せっせと車に乗り込みエンジンをつけるとラジオからSAKURAドロップスが流れてきて、
普段全く聞かないので妙に切ない声に聴き入ってしまってちょっとウルっとしたのでした。
小さな世界でありながらも、子どもたちが困難に出会い乗り越えていく先にすごく強くなる日がくる、
そんなことを今まで3人の子たちから何度も見せてもらっているから
これくらい大丈夫、という安心感を抱きながらも後ろ髪引かれつつ仕事にいく朝でした。
この季節、きっと多くのお母さんがもつ感情ですよね。
また、今年32年間勤められた汲田さんが3月で野村建設を退職されました。
年を辿ると私が小1頃から会社にいてずっと現場を支えてくれていました。
無口で話しかけにくくて距離はあったのですが、私を呼ぶときは「あきちゃん」と呼んでくれていて、その度に緊張感が解れて気持ちが和らいでいたことを覚えいています。
そして私が野村建設に来てからは約9年間一緒に仕事をすることができました。
私はいつも話をするわけではないけれど、ずっと会社にいる存在の汲田さんが退職されたことはとても寂しく思います。
それに汲田さんの姿を見て、私も仕事を引退し退職した後のことを考える時間がここの所あります。
どうかお元気で、ご家族の方と麗らかな日々をお送りいただきたいと願っています。
そして、3人の新入社員を迎えた4月3日。
社内わずか10人ほどの規模で、70代、60代、40代、30代、20代、10代が同じ場所にいるのです。
そこには年齢的な価値観も違えば、経験値、体力、学力が異なる。
前職ではほぼ20〜30歳で構成されていましたので、これだけ年齢の異なるメンバーが集まる組織は私は初です。
柔順に白いノートを埋めていき、自分の責任と役割を遣り遂げるために前進する若き年代と、
教えるという時間を増やし、受け入れることと手放すことの両方を備え持って責任を果たした上で人に与えることで前進する熟成、成熟の年代。
そんな違いをたしかに見ながら、直線的な成長を遂げる年と、波紋を画くようなゆっくり成長していく年とが共存しあう環境となります。
私は先日40の誕生日を迎えました。
人生の中間点。年齢差のある人たちからさまざまな物事を得ながら、自分と会社の能力を伸ばし強く凛々しく生きていきたい。
そんな大きなスタートを切った年であるように感じています。