梅干しから思うアイデンティティ
以前、松尾の誕生日会の時に「誰が梅干しを食べているかゲーム」をしました。
子どもや大人が4人ほど前に立って、皆酸っぱい顔をしているけど実は1人しか食べていない。それは誰か、という単純なゲームです。
急遽思いついたゲームでしたが、主役の松尾も食べてないのに思いっきり酸っぱそうな顔をしたりして
普段見れない顔満載で案外面白くなりました!
梅干しは主人を除いて家族皆が好きで毎年作るようになりました。(写真は昨年のもの)
赤紫蘇の「ゆかり」や梅酢漬けした「紅生姜」という副産物も梅干し作りの楽しみの一つになっています。
今年も梅干しを作っていてふと思ったのは
アイデンティティーという言葉。
小さな頃は気持ちが外へ外へ向き過ぎて、生まれ育った場所や岐阜の景色や歴史、日本の文化を積極的に知ろうともせず、大切にしてこなかったように思います。日本人としてのアイデンティティを語れない自分がとてもちっぽけだと思っていた時期がありました。
そんな想いを払拭したいという気持ちがまだ奥底に残っているのか、
家族がいることからの落ち着きなのか、
今は自分の身の回りの環境に足をつけ、できることを続けていくことの幸せを噛み締めています。
まだまだルーツを語るには程遠い道のりですが、食という文化を通して地道に続けられたらと思います。
海外の方との共存によってこれから日本はますます多様化するのだと思うのですが、
子供たちが日本の誇りを語れるような背中を見せていきたいです。
misosoup,natto,umebo-shi.oh,amazake.
つづく...
inoueakiyo